2学期になってから毎日、国語の教科書の音読が宿題になりました
どれを読むのか指定されているので
学校での進度とシンクロさせているせいか
長い話だと、ず~~っと、同じものを読み続けなくてはなりません
「大きなかぶ」なんて3週間もつづきました
息子はけっこうマジメに取り組んでいましたが
さすがに1週間をすぎたあたりから
飽きてしまってダラダラ読みに・・・
ところが、ダラダラ読みの次の日
やけに臨場感あふれる読み方に変化!
夕ご飯の支度をしながら聞いていた私が振り返ってみると
そこには
「うんとこしょ、どっこいしょ」
と言いながら
身振り手振りをつけながらやっている息子の姿が!
この姿を見て母はちょっと反省
そうだ!
いくら宿題といえど、指示されたとおりにだけやってちゃ、つまらん
どうせやるなら、能動的に取り組むぞ!
そこで暗唱するくらい覚えてしまったこの話について
チル大的に対話してみました
例えば
私:「もし、ねずみを呼んできて引ぱっても抜けなかったらどうする?」
息子:「え~と、アリを呼んでくる」
私:「なんでアリなの?」
息子:「だって、ねずみより小さいから」
私:「これは段々小さいものにしないといけないってルールなのかな
隣のおじさんを呼んできて、手伝ってもらったほうが力があっていんじゃない?」
息子:「たぶん田舎だから、隣はいないんだよ」
(↑めちゃ現実的な考えですね
)
とか
私:「おばあさんの次ぎに孫を呼んできてるけど
娘さん(孫のお母さん)はいないのかなぁ」
息子:「会社に行ってるんじゃない? 家にいたらきっと手伝ってるよ」
とか
私:「みんなで、引っ張る以外にカブを引っこ抜く方法はないのかな?」
とか
まあ、その場その場の話なので
こんなに真面目な事ばかり喋ってたわけではないのですが
思った以上にいろんな事が推測できて面白かったです
小学校に行き出してから
「これは、こうしないといけない!」
ということが多くて、それをこなす事ばかりになりがちですが
ちょっと目線を変えてみる
ていう意識や会話を家庭では増やしたいなぁ、と思っています
100点満点から減点方式の日本の教育では
「答えは決まっている」から
いかに正解するかで成績が決まってしまいます
この間、国語のプリントをしたとき
このことを痛切に感じました
短い文章が書いてあって、それに対して質問があり回答していくという
よくある国語の問題だったのですが
息子の回答をみると、い~っぱい書いてある
書いていることは、意味は合っているんです
けれどそれは息子が考えた彼の言葉で書いてるんですね
つまり、普通ならプリントに書いてある文章の言葉を
”そのまま使って書き出す”のが回答になりますが
息子は、はじめてするのでそういった概念が無く質問に対して
「こうで、ああで、こうだから、これなんです」
という彼の言葉で書いているのです
こういった問題はこういう風に回答するのよ・・・
と説明しながらも、
(アメリカみたいな加算方式だったら、そうじゃないのに)
となんとなく、モヤっとしてしまいました
もちろん質問されている事をきちんと把握し
的確な回答をすることも大切ですので
そういった訓練も重要なのでしょう
学校での形式の決まった指導も大切ですが
それプラス家庭では
自分で考える、という機会を多く持てるように意識したい
と思っている今日この頃でした
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(こんなの作りました♪のコーナー)
TVでケン玉を見ていた息子
「コップとヒモをちょうだい」
と何やら工作スタート
こんなのが出来上がりました
コップに紐がくっつけてあり
紐の先にはビー玉がガムテームでくくりつけられています
コップの部分をもって紐をゆらしてビー玉をコップに入れる
という遊び
ケン玉と同じ感覚が味わえて、なかなか良い作りでした
子どもの興味を伸ばす知恵が満載! チルドレン大学